王寺歴史研究会
        
藤井問屋 池内修さん宅ご訪問(2015年6月23日火曜日)快晴

◇藤井問屋

・「大和川中問屋軒数顔付」剣先船の荷継問として藤井庄兵衛の名が記されている。慶安(1648~1652)のころに始められ、長谷寺造営の木材を取り次いだことが契機といわれる。寛文のころ馬仲間株として近親縁者8人で仲間をつくった。(馬により荷物輸送する権利)株はしばしば商品化され売買された。蔵仲間株もあった。

・仲仕・支配人・駄賃取り・蔵の番人などがいた。仲仕の請書により仲仕は藤井問屋にとって欠かせない存在だとうかがえる。

・大和川の左岸藤井の浜で剣先船から荷物を受け取り、人馬で大和の村々に輸送した。

◇藤井
・明治21年王寺と合併し、王寺村となる。王寺は行政上2大字に分かれている。
・文政5年、藤井には46戸あり、男87人女85人計172人であった。

・明治10年50戸八幡神社を氏神とし、真宗西蓮寺を菩提寺としている。

・明治15年173人 文政5年から人口変動1人である。牡牛2頭 牝牛6頭 人力車1輌 荷馬車26輌 牛車4輌 橋梁藤井橋 池沼芦原池

・冬期山の木を買い、雑木を伐って運搬(ダシ)、カチグルマに載せて柏原や国分へ売りに行った。様々な工夫をして生計を立てたことが感じられる。

◇峠八幡神社祭神誉田別命 

・亀瀬・藤井村が氏子 旧村社 八王子神社を合祀 旧社地は現在地から西南奥 

明治12年遷宮

亀瀬藤井村氏子中天保13年壬寅正月吉日

石造鳥居 天保13年

灯籠 八幡宮神社と記した1基があるが、安政年号2基、文政、天保が各1基、

八王子神社や八王子宮と刻した4基がある。法隆寺会式を休日としている。 以上旧町史

・昭和6年(1931)亀の瀬地滑りのため、関西線の線路を南側に迂回させた。社殿の移転が行われた。石造鳥居はみかげや新三郎細工で、火幡神社鳥居前灯籠(天保2年)・白山姫神社の鳥居(天保2年)は同じ石工によるもの。

八王子神社はもと上手にあったと伝えられる。

                                                    以上王寺町史

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