百人一首の風景               7    8
百人一首の風景 奈良市 三笠山(若草山) 御蓋山(春日山)
7安倍仲麿 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
7阿倍仲麻呂 天の原

春日野から望む御蓋山(春日山)
三笠山(現若草山)
 三笠山は現在若草山と称し、奈良市奈良公園の東端に位置する標高342m、面積33haの山。山が3つ折り重なって見えるため三笠山と呼ばれています。
 1935年、三笠山に因んで三笠宮が創設される際に、同じ名前では恐れ多いとして、山焼きに因んで若草山に改称されました。
 阿倍仲麿の歌にある「三笠山」は、南隣にある春日山のことで、春日山は御蓋山と書いて「みかさやま」の別名があるとも言われています。  

歌碑(嵐山亀山公園)

歌碑説明碑

歌碑(小倉百人一首文化財団建立)

安倍仲麻呂卿碑

安倍仲麻呂説明文
歌意
 大空をはるかにふり仰いでみると、月がさしのぼって来たが、[この月はむかし日本にいたころ]故郷の春日にある三笠の山にのぼったあの月なのだなあ。(遣唐使藤原清河に従って帰国しようとして、明洲の海辺で、折からの満月を異郷の空に眺め、望郷の情を詠んだ歌)
阿倍仲麿(古今集)
作者プロフィール
 阿倍仲麿(698〜770年)は、奈良時代の遣唐留学生。唐で科挙に合格し、唐朝諸官を歴任して高官に登ったが、日本への帰国が果たせなかった。中国名を朝衡という。
 仲麿は、孝元天皇の皇子、彦太忍信命の血を引く。698年阿倍船守の長男として大和国に生まれ、若くして学才を謳われた。
(安倍仲麻呂とも書く)
歌の背景
 留学生として唐(中国)にわたった仲麿は、中国の役人になる試験(科挙)に合格。一緒に唐に渡った吉備真備や玄ムは帰国したが、仲麿は唐に留まった。30年ほど経って、皇帝から帰国を許されたが、船が難破し、唐に留まることになり、50年以上を唐で過ごし、長安(西安)で亡くなった。この歌は帰国を許された時に、ふるさとを思って読んだと言われている。
 阿倍仲麿は、仲麻呂とも書き、いまから1300年ほど前の官僚である。若いときから優秀だったので、20歳のときにいまの中国である唐(とう)へ勉強をしに行った。当時の中国は、日本よりもずっと文化が進んでいて、多くの優秀な日本人が勉強に行ったのである。仲麿は中国で一生懸命勉強し、科挙(かきょ)というとても難しい試験に合格して、中国の皇帝にお仕えした。35年もの間、中国で勤め、いよいよ日本に帰ろうとしたとき、日本へ向かう船が遭難し、仲麿は再び中国へ戻らなければならなくなった。そして、一度も日本に帰ることなく、73歳で中国で亡くなった。

三笠山/御蓋山(春日山)

平城宮から望む

東大寺から望む

若草山

春日野から望む

平城宮跡から望む
写真撮影2008年5月13日

御蓋山

春日大社

春日大社

春日大社参道

春日大社案内図
写真撮影2015年6月29日


平城宮跡朱雀門
所在地 奈良県奈良市春日野町
交 通 JR奈良駅・近鉄奈良駅からバス「春日大社本殿」下車徒歩7分
     第二阪奈奈良ICから15分

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